銀河鉄道じゃないほうのSLの話<6>

銀河鉄道じゃないほうのSLの話<5>の続き。


「鉄道博物館」に行ってきました。

事前の電話レファレンスで「ズバリの回答とはいかないのですが…」という回答でしたので、「どうしてズバリといかないのか?」の事情を確認せねばと思い、現地入り。

ライブラリーでは2つの収穫がありました。
1、1931年、賢治さんも手にしたであろう時刻表があった!
2、この書籍が理解できれば、どの車両かわかりそうだぞ!という書籍に出会った。

本題のSLの型の話からいったん話がそれますが、
1931年の時刻表の現物がありました。
樺太から満州までが「日本国」として掲載されているため、独力で調べるのは難しかったので資料室の方にお手伝いいただきました。
残念ながら、鉄博ライブラリーは資料の複写や撮影が厳禁のため、画像はありません。
以下は記載されていた内容文です。

1931年3月27日 宮沢賢治が乗車したのは
上野発22:30 花巻着10:27 青森行201列車 常磐まわり

参考画像。こちらは後日入手した昭和5年10月1日発行の時刻表。同じダイヤで201列車がありました。ダイヤ改正、いつやったか確認できれば、この時刻表が資料として活用できるんだけどなぁ……。

1931.3.27時刻表について

『汽車時刻表 昭和六年九月』という資料があり、
上野発22:30 花巻着10:27 青森行201列車 常磐まわり と、記載されていました。

正直、満州/台湾/朝鮮まで国内に含められていて、駅弁販売駅など今は見慣れない情報に面食らったのですが、列車名はあっても車両名の情報はありませんでした。
(今ならわかるのですが、車両区で牽引車両が変わっていくので、書き様が無いと思うのです。)

この時刻表は本当に興味深い。ほかのページも興味深い。いっそ欲しい…
時刻表に運賃が書かれていて、小林六太郎さんが買った切符は一体いくらだったのかを計算してみました。
基本運賃(3等車)は距離で決まるので、常磐まわりは510.kmで5円61銭。
2等車は二倍、1等車は3倍の価格になるので、2等車を取ったとあるので11円22銭。
普通急行はプラス2円。更にプラスで寝台は1夜、上段が3円、下段が4円50銭。
上段ならば16円22銭、下段ならば17円75銭という計算になりました。
正直、計算してはみたものの特にピンとは来ていないのですが……上段と下段で料金が違うなどと考えもしていなかったので、どちらを取ったのか気にもしていなかったなぁ……などということを今は思っています。

浜垣さんに報告させていただいたところ、面白いことを教えていただきました。
日本銀行の「企業物価指数」の推移が載っているページで、1931年の貨幣価値を現代のそれに換算してみたのですが、
上段の16円22銭は、14,915円、
下段の17円75銭は、16,321円、
となりました。
ただし、最新のデータが2017年(平成29年)でしたので、この年への換算です。
ちなみに、現在の東京―新花巻間の新幹線料金が、
普通指定席で13,560円、
グリーン車で16,950円ですから、
時間は大幅に短縮されたのに対して、料金は不思議にもほぼ同じくらいですね。
料金の一致についても驚きましたが、「企業物価指数」の推移が載っているページの便利さにも驚きました。
今まで金銭感覚は、兄妹像手帳のメモとか、同時代の当時の色んな商品価格を調べては比較していたので……日本銀行に言い切っていただくと、ビシッとした基準になるので、そこに時間裂かれなくてありがたいです。

余談ですが、上野から北東北方面の長距離、
現在「東北本線」が通っている栃木県経由、福島市・郡山市を通って仙台に行く国道4号線沿いルートは、当時は貨物専用です。
旅客は現在「常磐線」と呼ばれている茨城県経由、いわき市(平)を通って仙台に行く国道6号線沿いルートでした。
3・11東日本大震災以来、今も一部がバスによる代替え輸送になっていて、令和の今日はこのルートの追体験ができません。
1997年頃、いわき駅近くに住んでいて、普通列車で仙台~いわき~上野を移動していた経験がここにきて役に立つとは……当時は金銭的理由で仕方なくの普通車だったので、当然嫌々でしたが。若い時の苦労はしておくものです(って、こういうときに言うのかな?)。
次、本題の結末。
つづく

関連リンク

外部リンク

全国蒸気機関車配置表
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