宮沢トシと東京<4>音楽教師と二美人の初恋3/22

「岩手民報」大正4年3月22日3面“音楽教師と二美人の初恋”

「岩手民報」大正4年3月22日3面“音楽教師と二美人の初恋”
「岩手民報」大正4年3月22日3面“音楽教師と二美人の初恋”

●音楽教師と二美人の初恋

▷校長先生の手に入った写真と手紙
▷貴美子の恋も破れる

爾来(じらい)、文子は朝に夕によからぬ胸を抱いて通学していたが、我恋の余りに悲惨な運命に呪われたのに反して、貴美子(※1)と先生の交情(なか)がますます濃くなりまさり行くに、抑え難い恋心と嫉妬の炎に身を焼きつくさんばかりに悩み入った。
これにひきかえ、貴美子と春木の間柄はいよいよ相慕う交情となったけれども、慎み深い春木は思い切って切ない心の中を打ち明ける程の勇気がなかった。
とやかくしているうちに、ある水曜日の音楽の時間に貴美子は南向きの窓に近い椅子に始終物思いに耽って首をこう垂れて、いつもなら、いと快よく聞ゆる先生の美しい聲も耳には入らぬさまであった。

やがて終業のベルが鳴ると、一同を送り出した先生は、何気なく机の上を見ると其処に何か一塊の物が残っているのに気付いて、立ち帰ってみるとクリーム色の絹のハンカチに包んだ北村氏の離れ小鳥。
果たして誰のものか。
なぜにここに置いて行ったのか。
忘れたのか。
胸を衝く様に、こんな思いが往来した。
気を落ちつけて見ると、ハンケチの片隅にK・Sと記してあったので、一度落ちついた先生の胸の血潮は、又、更に高潮に達した。
貴美子貴美子貴美子に相違ない。
それにしても、有意か偶然かはた(また)忘れて行ったのか、いないな、そんな事のあろうはず〇〇〇〇〇〇幾度か自問自答した先生はソット後を振り返って見て、そのハンケチに幾度かふるいつく様にキッスした。 赤々と照り映ゆる午后の日光は何ものかに満たされた彼の影を黒く彩っていた。

このことのあった翌日から貴美子は兎角沈みがちに。音楽の時間にさえ、人に隠れて吐く息の微かにうなだれがちになるも、先生よりほかに知る人もなく。
日曜といえども必ずヴァイオリンの練習にはきっと出席したのが、姿を見せなくなった代り、学校の廊下に遇ってさえ互いにふり返っては、ニッコリと笑う笑顔の一時も別れを惜しむが如く。ついに二人はしめし合わせて、日曜の人気の少ない場所を選んで、手に手を握りあって散策した。
しかし、二人の恋はどこまでも清いものであった。精神的の恋であった。二人の間には、激しい恋の消息が交換された。水色や桃色のレターペーパーに封じ込まれた、水茎も跡のうるわしきに添えた写真を、春木は肌身放さず、大事に大事にして持っていたのであったが、いずれ一つか二つより違わぬ年頃のクラスの誰彼、殊に文子には、恋敵の二人の挙動の一々に目にふれて、校内の評判となりしが、いついかなる人よりか校長先生の耳に入り、果ては貴美子より春木に贈ったラブレッタースと一葉の写真とが、校長先生の手に落ちた。
元来、厳格なる同学校の如何に二人の恋の潔白な事を弁解しても駄目だった。
しかし、卒業間際だったので、貴美子は、退学処分を受ける様な事はなかったが、仇し一人の男に恋い焦れた二人の初恋は二人とも悲惨に終った。
貴美子といい、文子といい、うら若い日の初恋のメモリィとして余りに惨憺たるものである。
(をはり)

本文解説

おわり。
……惨憺って書かれると惨憺っぽいけど、惨憺かなぁ……?
どうも、ただ手紙を拾われただけの話を誇張しているような。
退学に値するなら、卒業時期が近いとか理由にしちゃいかんよねぇ;
じゃあ、どうすれば「惨憺」じゃなかったかといえば、春木先生が身を挺してかばうなり、愛を公言すれば「愛の逃避行」でハッピーエンドだったのかなと。
そこで、春木先生が保身に走るなり、大人しく校長に従うなりで、何も面白い展開にならなかったんで、こういういじられかたをしたのではないかと思うのです。 舞台のH学校……友達も指導者もなんか冷たいなぁ。
「そういうこともまた青春、こういう保身に走る男に走るなよ(しかも、イケメンでもないんだし…)、卒業したら忘れて、変な男にひっかかるなよ!」と教えてくれる指導者であって欲しかったです。
このいいかげんそうな記事が事実とは違っていることを祈りたいです。
いい加減で嘘だらけの記事だとしても。文子のモデルと言われたら
・独りよがりの敗北者
・破廉恥な一人時間の暴露
・嫉妬という醜い感情の持ち主
この3点はどうしたって傷つく…引きずるよね…宗教でなんとかなる話じゃないんで、このあとの対処はどうだったのかと、どうすればなんとかなったんだろうかと考えてしまうよ。
女子の初恋の痛手というものは、乗り越えればオバチャンになり、乗り越えられなければ病気になって死んでしまうのです。

資料について補足

〇……原紙欠損部
※1ヒロイン改名事件。勃発。
「をーーーい!!」って思わずツッコミを入れたのですが、ここからルビが「ふみこ」ではなく「きみこ」になっています。以降「きみこ」。最初の一文は「ふみこ」、一昨日連載初日のルビはすべて「ふみこ」。
今日の重要シーン「ハンカチのイニシャル」もK!!!
見直してないのかよ!!校正してないのかよ!!一昨日のキャラ設定、忘れたのかよプンス(怒)
ハンカチとハンケチの統一表記されてないし、発狂しそうよ私。
資料について補足。
漢字は現かな漢字に変換打ち換え。
(例:居る(をる)→いる。など、読みやすさ優先で主観変換してますので、ご注意ください。大正の文章の雰囲気を生かしながら、訳文が必要ない程度の読みやすさでいじっています。「、(読点)」「。(句読点)」も当時と今では用法が違っているので、今様で打ち換えています。)
原文主義の方、画像でどうぞ。
今回、大正4年の新聞記事を一部現代仮名に書き換えていて思ったこと。
「日本語:言葉の使い方についてはルールの定義が難しい」です。
言い回しの時代の流行り廃りだけではなく、漢字の文字そのものにも時代の流行り廃りがあるのですよ…。
単純に「旧漢字」と割り切ることも難しいかなと。
一例で「聲」。
これは「声」の旧字体です。
常用外です。
ところが、2016年(平成28年)アニメ映画『聲の形』のヒットにより、読める人が増え、自然と表記も許容されるようになっている令和元年の本日。
PCの仕様も「戀」は変換で出なくても「聲」は出る。
「聲」は旧漢字でもそのまま現文として表記して差し支えなくなってしまったのです。
新聞に使う漢字について。 大正時代はざっくりルールでも、昭和の新聞は1946年(昭和21年)にルールが決められ始まってから、統一されています。
『聲の形』も作品名として『聲』は一過性で使われる漢字であり、ルビが添えられたことでしょう。
昭和に一度抹殺された漢字が、令和ではみんなが読める。
敗者復活の爽快感と感動。(え?私だけ?)
みんなが読みやすく理解しやすくなるために目指された「常用漢字」という存在ですが、
それによって表現の幅が狭められて、本来の意味と違う漢字が充てられたり、
よくわからない戦後の時代があって、
ついでにそのことで「、(読点)」が活躍するようになるのですが、
「、打ち」のルールが厳密にならないために国語教育を受ける者が苦労するという事態が起こります。
あと30年もたたないうちに制定から100年なわけですが
続かなさそうな制度……。
末端の日本語使いができることは、自分が記載した今日の日付を明確にするのみです。
(おわり)

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