日本橋と賢治

日本橋。日本人の誰もが知っている街。なぜなら、ここに日本の道路の基準があるから。

「ここが道路の起点です」という日本国道路原標……の、複製!?本物はどこ??

このエリアは平成末期の再開発で三井不動産の「コレド (Coredo) 」が多発。コレドは日本橋がかかる日本橋川を境に、北部は「コレド室町」南部は「コレド日本橋」になります。待ち合わせにコレドを指定されると大混乱。

地図に合わせて、日本橋エリアを2回に分けて散策しました。ちなみに、あえて分けましたが、普段の用事でこのエリアに行くときは、新日本橋駅~東京駅間(横須賀線)1駅/直行徒歩20分なので、まるっと歩いちゃいます。見所は多いので退屈しませんが、風が強いエリアなので、天候要相談です。

《1回目》北部(オレンジの線)賢治さん常宿の地

2018年12月3日。神保町~御茶ノ水 。献杯した後にふと、 己巳(つちのとみ、きどのみ、きし) の日であることに気づきます。金運・勝負運の祈願に効率の良い日なので、私の様に浮き草家業の人間はこういう日に参拝に行かねばなりません。思いついたのは小網神社。日本橋から徒歩15分、東京大空襲でも焼け残った強運の神社です。

小網神社。賢治さんと関係ないところからスタートしていますが、日本橋の見所です。人気のパワースポットで、巳の日には参拝客が多くタクシーも止まってます。

神保町でほろ酔いだったので、神保町駅から地下鉄半蔵門線で水天宮駅まで移動してきました。7分170円。水天宮駅から小網神社まで徒歩8分。

水天宮。

ビルと飲食店が立ち並ぶ通りを直進すると、わかりやすく「日本橋」の景色にぶつかります。

日本橋三越本店どーん!

左に曲がると日本橋。今回は右に曲がります。左は次回!

三越のお気に入りスポット。地下鉄入り口。

三越の横を歩いて北上。JR新日本橋駅方面に向かいます。地上は三井の立派な建物&再開発の工事中。ちなみに、地下は地下鉄三越前駅でずーっとつながっています。みずほ銀行にぶつかると、そこがみずほ銀行、おとなりが福島の物産館です。そこで通りの向かいを見ると、こんな景色。

後日、2019年9月30日に撮った写真のほうがわかりやすかったので差し替え。

写真中央、右から3番目の白い建物が旧小林六太郎邸です。

小林六太郎邸

賢治さん、9回の上京のうち、小林六太郎さんが関係するのが6回。

  • 1917年(大正6年)
  • 1918年(大正7年)
  • 1921年(大正10年)
  • 1926年(大正15年)
  • 1928年(昭和3年)
  • 1931年(昭和6年)

家の用事、家出してとりあえず頼る、瀕死で助けてもらう……

賢治さんと六太郎さんの親密度合いもさることながら、なんといっても小林六太郎邸のアクセスの良さが関係しています。

2015年(平成27年)から2018年(平成30年)の3年で再開発された旧小林六太郎邸とその周辺。

2015年3月6日、同じアングルからの写真。左手前の東山ビルもこの日が営業終了で建て替え。

旧小林六太郎邸の斜め向かいが岩手銀行のビルだったので、何かのご縁を感じて中に入ったら、1931年当時は岩手銀行ができる前だったために何も関係がないことがわかりました。ついでに、このビルが本日で営業終了、趣のあるビルも解体・建て替えになることを知りました。

出会ったその日に永遠の別れ……。

趣ある石造りのビルでしたが、窓は所々割れていたので、働いている人は大変だったのかも。
何かのご縁だ、新しくなったらまた来よう……と、心に誓って、口座に貯金しました。

余談ですが、岩手銀行はネットで口座を作ると「イーハトーヴ支店」という支店名になります。賢治好きな人にはたまらない支店名ですよね。岩手銀行は、東日本大震災の時にいち早い地元企業への融資を開始した銀行です。ささやかながら貯金で応援。

そして、いよいよ旧小林六太郎邸です。

一階にカレー屋たんぽぽが入っているビル……という認識で来たら、再開発で工事中でした。何になるんだろう?

マンションになります。私も欲しい(笑)ここに東京散策の拠点があるって便利。

それにしてもこの立地の良さ。JR新日本橋駅まで徒歩3分。JR神田駅も徒歩5分くらい。

旧小林六太郎邸、工事中。
3年後、こうなりました。

小林六太郎さんは、こんな好立地に住んでいて何をしている人だったんだろう?賢治さんに香水や粉せっけんの話をしているから、もちろん商売をしていた人なんだろうなと。当時の面影の全くない場所ですが、同じ通りに香水瓶の問屋さんがあり、「こんな感じかなぁ…?」と思いました。こっちもビルなんですけどね。六太郎さん、気になるなぁ。

瓶、可愛い。美しい瓶は見ていて楽しい。

この敷地だけで充分なアクセスと広さだと思うのですが、その前に住んでいた家が道路を通すために立ち退いて、広さが半分以下になった場所だというのです。

その前に住んでいた場所は、入ってきた通りを背にして真っすぐ直進。昭和通り沿いに出たところです。

2015年3月6日。右が昭和通り左の茶色いビルの敷地と目の前の昭和通りの道路を足した分前の小林六太郎邸
2018年12月3日の茶色いビル。3年前と特に変化はありません。
こちらに住んでいたのは1923年(大正12年)まで。もしかして、関東大震災後の復興計画で立ち退きだったのかな?

道路になってしまうと元の姿を想像しづらいのですが、「奥にひっこまったぢゃい」とのことです。

とにかく、この室町4丁目の地に、賢治さんよりもちょっと年上で、賢治さんにとってはお兄さんのような感じの小林六太郎さんと奥様が住んでいて、子どもがいなくて2人住まいだったとのこと。時折岩手からやってくる、ちょっと変わった感じの弟のような存在に、東京のことを教えたり、ご飯食べさせたり、泊めてあげたり、相談に乗ったり……と、世話を焼いてくれていた様子。

小林六太郎さん、絶対いい人!

この、目一杯めぐまれたロケーションがあるので、東京に賢治さんの足跡が展開するのです。

《2回目》南部(ピンクの線)丸善とその周辺

丸善。日本橋の宮沢賢治=丸善なんです。「丸善みた?」が合言葉。

2018年12月27日、霊巌島を調べる中で再び日本橋エリアへ。

今日は日本橋を渡ります。日本橋の下を流れる川の名前は「日本橋川」。

日本橋駅のあたりをぷらぷらしていると、どこからでも目に入るのは高島屋なので、中央通りを挟んでお向かい同士の高島屋丸善はわかりやすいです。

1921年(大正10年)。家出して最初にこちらに注文していた本をキャンセルして得たお金で生活を始めました。
入り口にプレート。創業は横浜と書いてあります。

日本橋創業の老舗と思い込んでいたら、創業は横浜でした。大正10年の日本橋店はどんな外観だったんでしょうね。賢治さんはこちらに書籍を注文している他、丸善特製の原稿用紙を使っています。『銀河鉄道の夜』とか『永訣の朝』とか、ビッグタイトルの原稿に『丸善特製』の四字があったので「おぉ」と思いました。原稿用紙、丸善特製の他には自分のオリジナルをオーダーしたものを使ったりしていました。

高島屋の隣、東京日本橋タワーにこのようなものが設置されていました。12月だからでしょうか。……ところでこれ、どこかで見覚えがあるようなないような……宮沢賢治童話村にあったイルミネーションと同じ方の制作でしょうか。

これは是非に点灯した状態で見たいと思い、一旦エリアを離脱して、日が落ちてから戻ってきました。

いやぁ!綺麗だ綺麗だ!!

走馬灯のようでもあるけれど、切り絵のような柄が美しい。
オーロラのような、しゃぼんだまのような……
家にも一つ欲しいなぁ…

本当に東京はなんでもありますね。ビルの真ん中で、こんな夢のように綺麗なものが見られるとは。

あぁ、うっかり。次の場所は暗いと撮影できないことに気づきました。白木屋の井戸跡地を撮影しようと思っていたのです。ここはライトアップしていないんですよねぇ……あらら。

白木屋は三越と並んで当時ここにあった百貨店です。これはまたの機会に。

では、せっかくなので夜綺麗な場所を回って帰りましょう。日本橋を渡って新日本橋駅に向かう途中、コレド室町の谷間に福徳神社があります。

ライトアップされていて、一年中夜も参拝客が切れ目なく訪れます。コレド室町の賑わいの中心にある稲荷神社です。昼間に来ると、宝くじの袋とか御守りも可愛らしいデザインのものが売られていて、見応えあります。

さて、新日本橋駅から横須賀線に乗って帰りましょう……

あ、やっぱり東京駅で降りてみましょう(笑)
人混み半端ないですが、丸の内がライトアップ中です。

仙台の光のページェントを思い出します。

東京のイルミネーションを見ながら「かつてどこかで見たイルミネーション」を思い出している私。初めて見るイルミネーションも、なんだか懐かしい。もしかしたら、イルミネーションは誰かが再現した思い出の再現なのかもしれません。

東京駅。辰野金吾作。賢治さんは来ていませんが、この駅舎とそっくりだった萬世橋駅。関東大震災以前、この賑わいは萬世橋駅のものだったんだろうなぁ……。一瞬の大震災がそれまでの勢力図を変えてしまう。東日本大震災を経験した身には、なんとなくわかります。

この回おわり。

関連散歩

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