王子~巣鴨と賢治

10:30am JR王子駅を下車してスタートします。

王子駅を下車して、飛鳥山方面。

飛鳥山下を線路沿いに歩いて西ヶ原方面に向かおうとしたら、とても風情がある道。階段の上も気になります。飛鳥山公園には渋沢栄一宅もあるはずなので、上も気になります。気になりますが、下を行かねばならない理由があります。

よりみちノートにまとめた本日のマップ。

ナギノート東京の最初に選んだ宮沢賢治さんゆかりの東京サイトは、「西ヶ原」です。
なぜならば、ここは、賢治さんが20歳の時に、東京で初めて訪問した場所だからです。

東京初上陸は上野駅でしょ?そりゃ、東北の人はみんなそうですけどね。乗り換えて王子駅へ行きましょう。

1916年(大正5年)3月20日。5:40小雪の舞う朝、上野駅着。 (参考:『賢治研究79』)

飛鳥山公園、桜の名所ですが、今は緑の濃い景色です。賢治さんの来た日は、桜シーズンにはちょっと早い上に雪まで舞っています。修学旅行は、好きな時期を選べませんからね;舞う雪を桜吹雪に見立てて、修学旅行の旅路スタートです。

国立印刷局東京工場。かつての大蔵省印刷局。
日本銀行券(お札)・旅券(パスポート)・収入印紙・郵便切手・官報を印刷しています。

ここが修学旅行の目的地:東京高等蚕糸学校だった場所です。今でも修学旅行の目的としては面白そうですが、学ぶ内容が変わってしまいましたね。

当時は西ヶ原一帯が農業科学のメッカでした。

東京高等蚕糸学校発祥之地(とうきょうこうとうさんしがっこうはんしょうのち)碑花と森の東京病院前にありました。

絹は今でも「高い」「すごい」「でも綺麗!」という品ですが、化学繊維が今ほど進化していなかった時代には、もっと高価だったことでしょう。 私もシルクよりAIRism(エアリズム)という生活を送っていますが、化学繊維の最初は1940年のナイロン。それまでは天然繊維のみです。
絹は天然繊維で唯一の長繊維。光沢・質感、いづれも絹だけのものです。
紀元前、絹の製法は中国だけの秘法で、シルクロードを渡ってローマと取引された絹の価値は金と同じだったとか。ローマの質素倹約賢帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス( 大秦王安敦 )が后がシルクのローブをおねだりしたのに応じなかったエピソードが面白い。絹のローブ、高価だから買ってもらえなかったってよ。

日本は、明治政府の富国強兵政策で蚕糸業に力を入れます。蚕の品種改良、質の向上、製造の効率化etc…東京高等蚕糸学校もその研究の中心。ちなみに、出資者は渋沢栄一。ご近所さんですね。

その結果、1900年には中国を抜いて日本が世界一の生糸輸出国になり、1935年前後にピークを迎えます。賢治さんが東京を往来していた時期は、日本は今では想像もつかないような生糸生産国だったのです。

輸出の50%強が生糸。生糸を輸出して得た外貨で軍艦や大砲を購入し、日清戦争・第一次世界大戦を勝ち抜いてアジア唯一の帝国主義大国になっていたのです。大鑑巨砲をもたらしたのがわずか二寸の蚕。軍備の資金は絹糸で賄っておりましたとさ…。

お向かいの西ヶ原郵便局で風景印ゲット。西ヶ原の風景代表は旧古河庭園。1916年はまだ無い。

東京高等蚕糸学校の隣の建物、農商試験場にも賢治さん御一行は来ているのですが、郵便局で通りを渡ってしまった私は、このまま進むことにしました。帰りも通るしね。

東京都北区立飛鳥中学校。

こちらの中学校の場所、以前は関豊太郎先生の自宅でした。岩手県の盛岡高等農林学校賢治さんの恩師だったのが関先生盛岡高農を退官した後、農商試験場にお勤めでした。職場まで徒歩10分ですね。1921年には、家出した賢治さんもここに訪ねてきて、一緒にお花見に行ったこともあるんですよ。

この後、なんとなくの方向感覚でJR巣鴨駅に向かったのですが、アップダウンの激しい民家ばかりの通りで、大変な感じになること15分。何度目かの坂道を下ったら、唐突に景色が巣鴨っぽくなっていました。

11:00am 友人と合流して巣鴨でランチです。

巣鴨地蔵通商店街

コンビニもモバイルショップも無い通りが、むしろアミューズメントパークっぽくすらある風景。1919年の妹トシ看病上京の時、賢治さんはここに来ています。六太郎さんに紹介された物件の内見に来て、イマイチだったという長屋。どこなんでしょうね?

高岩寺。本尊は 地蔵菩薩(延命地蔵) 。通称とげぬき地蔵。

とげぬき地蔵は病気の治癒改善に御利益があります。さすがにここを通るならお参りすんじゃないかなぁー? 妹を看病してた時期だしなぁ……するよね?

二代目洗い観音。

本尊は秘仏で、洗われている観音像とは別ですよ。すみません、私も手をケガしたので洗わせてください……。

シベリアロールの看板可愛い。他の街とは違う個性があって、見ていて楽しい通りです。
巣鴨猿田彦庚申堂。

商店街の終わりに、赤い服を着た可愛いお猿さんに出会いました。こちら、江戸時代からの名所とのこと。商店街のあちこちで赤いパンツが売られているのは、あなたにあやかっているからかしら?

心が昭和ムードにどっぷり。昼食も、なんとなく定食が食べたくなります。

ときわ食堂 のサンマ定食。生サンマで、内臓まで美味しかったです。

昭和ランチデートでした(笑)

郵便局の前のポストにはすがもんが乗っていました。平成っぽいゆるキャラ。

JR駒込駅まで、女子トークしながら山手線沿いに歩きます。アップダウンがあって、食後のエクササイズ。

山手線は駅ごとにハンコ完備。駒込駅は六義園(りくぎえん)でした。ザンネン、方向が違う……;

友人と別れて、来た道とは別ルートで帰ります。

本郷通りを歩きます。河川を感じる蛇行。左斜め前方に旧古河庭園。めっちゃ良い香りします。
香りの正体。見て行こうかな…
おぉ!ジョサイア・コンドル設計屋敷です。

1931年前後の洋風建築は、ジョサイア・コンドル&辰野金吾の東大工学部(旧 工部大学校 )師弟コンビの建物オンパレードです。これ、師匠のほう。東京駅は弟子のほう。
賢治さんが修学旅行で来たときは建って無くて、妹の看病上京の時くらいに建ってるし、家出の時もこの辺には来てるけど、ただの他人のお屋敷だから見てないよね?

その時代の雰囲気は感じるのに、賢治さんに全く関係ない。けど楽しい♪
古河庭園を後にすると、斜め向かいに公園があります。

オブジェや遊具があって、楽しそうな公園です。公園遊びからデートまで対応可。
北区立滝野川公園。

ということは……

ありました!4時間前のつづき。「賢治さんが修学旅行で来た場所その2」

農業技術研究発祥之地。

農業技術研究発祥の地!発祥の地なんだ!!それは農学部の人は来ないとですよ!!!……と、一瞬テンションが上がり、賢治さんの最初の目的地としては納得したものの、今この地には農業技術研究のナニカは何もありません。

明治26年4月 農商務省農事試験場がこの地 東京府北豊島郡瀧ノ川村西ヶ原に創設され 我が国の農事技術研究は発祥した
爾来87年 その間 昭和25年4月 農業技術研究所と改称される等組組織機構の変遷はあったが 「西ヶ原」は常に近代農学を先導し 我が国における農業関係試験研究機関の母体として 多くの輝かしい業績により農業の発展に寄与してきた
昭和55年1月 国立試験研究機関の筑波研究学園都市への移転に伴い この地での研究を終わる
「西ヶ原」の栄光の不滅を祈念しここに記念碑を刻む

農業関係でその道の最先端を学ぶのは、今ならば筑波研究学園都市に行くべきということですね。

ここまで来ると、JR上中里駅が目の前です。そう。西ヶ原一帯はこちらの駅のほうがアクセスは断然良いのです。しかし、JR上中里駅の開業は1933年。賢治さん没年。こちらの駅は無いのです。なので、賢治観光ルートで歩く時は、JR王子駅から歩いてくださいね。

JR上中里駅からスタートの地、飛鳥山方面を臨む。

4時間強かかりました……探索は3時間くらいがちょうどよくて、4時間はちょっと疲れるわね。途中の住宅街横断を省略して、体力温存していただくことをおススメいたします。
(おわり)

→後日「王子~巣鴨」追加で発見したことがあります。
リンク:「当時の地図で王子~巣鴨」

よりみちノート東京版はこちら。

改訂版 東京よりみちノート ([バラエティ])
今回のノートは、ひとり東京さんぽ withよりみちノート (よりみちムック)に付録としてついていた、ちょっとだけ範囲の違うマップの東京よりみちノートです。

ひとり東京さんぽ withよりみちノート (よりみちムック)

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